暮 春 憂 愁       「時代の明け方」より    秋谷 豊

                              〜 渡辺 綱はわが故郷の地に生まれしという 〜

                  ぼくから神がいなくなった遠い日
                  草の影は木のいちばん近いところに重なっている
                  夕日の明るさと吹いて来る風にあおられて
                  関東ローム層の台地の坂を上って行って
                  町からはるかに離れた麦の畑の中に
                  箕田源氏三代の館のあった小さな丘がある
                  そこは少年が見つけたロマンの片隅だった
                  ああずっとずっと何百年か前
                  十三歳のとき故郷を出立した渡辺 綱は
                  摂州渡辺の庄から鴻巣に下り

                  わけこし草のゆかりあらばーと詠んだ
                  草を茂らせるいくさの傷は何百年前とて同じだろう
                  ぼくから神がいなくなったのは
                  遠くの空で神が火花を散らしたからだ
             
                  草が茂って行方も知れない野を
                  高崎線の電車が通る
                  五月の草が記憶している
                  この平野の展望は
 
                  朔太郎が犀星が堀辰雄が
                  孤独に通り過ぎて行った
                  寂寥の地方だ

                           
★ 寂寥(せきりょう)---[形動]ひっそりとしてもの寂しいさま
笠原小学校へ寄贈した 秋谷豊の直筆原稿
「平野に新しい地平が見える」
笠原小学校創立130周年に
「原口和久」鴻巣市長と
「宮城絢子」教育委員長の挨拶ページ
 原口市長は笠原小学校出身
掲載された「秋谷豊略歴と写真」
卒業名簿、昭和12年に秋谷豊
昭和14年に、弟「福司」の名前がある
鴻巣市立「笠原小学校」創立130周年記念冊子「かわら屋根の下で」に−秋谷豊の寄稿文− 平成15年発行
秋谷豊の文学に大きな影響を与えた
「小川未一郎」先生の資料は
整理完了後に掲載予定です
二つ年長の秋笹酒造の秋笹謹弥さんと
謹弥さんは旧制熊谷中で
金子兜太様と同級生
豊の本家は秋笹酒造と隣同士
秋笹酒造の跡地は現在、ベルクに
なっています
鴻神社近くの石屋だった
豊の生家は現在、とんかつ屋
総本家は箕田にあったそうで
箕田眼科の話をよくしていました
笠原小学校 小川未一郎先生
秋笹酒造 寂寥の地
さいたま文学館 秋谷豊−地球の詩人 図録より
秋谷豊がふるさと鴻巣を書いた詩 
さいたま文学館企画展の
記念講演会で詩人、新川和江様が絶賛した詩です
2000年に笠原小学校で講演会を行いました 笠原小学校・同校PTA主催
↓秋谷豊
昭和36年の笠原小学校の同窓会案内状と記念撮影写真 秋谷豊40歳頃 まだこの頃は鴻巣駅前には料亭がありました
秋谷豊 15歳作品 「日光紀行」全9ページの最初の2枚を掲載 19歳の時「信濃追分」を訪れた時の文章を彷彿とさせます
笠原尋常高等小学校時代の綴り 秋谷豊15歳時の作品、テスト等がファイル
されています その一部を掲載しました
文部大臣賞受賞の記念撮影(笠原小学校)
秋谷林八は豊の父(波吉)の長兄
藤田學様はその後、秋谷豊家の墓の
近くに墓を建てられました(光徳寺)
笠原小学校での記念撮影 昭和のはじめ頃
秋谷豊と鴻巣